日本人として僕が毎年楽しみにしているのが、我らがグランドセイコーの新作です。2022年には日本ブランドとして初めてこの舞台に参加し、自社初の複雑機構を備えたKodo コンスタントフォース・トゥールビヨンを発表。2023年には自社製自動巻きハイビート機械式クロノグラフのテンタグラフ、2024年には手巻きハイビートキャリバー搭載の白樺ダイヤルモデルをリリースし、毎年国内外で大きな話題を集めてきました。
そして迎えた2025年、常に挑戦を続けてきたグランドセイコーから、グランドセイコー エボリューション9 コレクション スプリングドライブ U.F.A.が発表されました。モデル名にあるU.F.A.は“Ultra Fine Accuracy”の略で、ぜんまい駆動式で年差±20秒という異次元の精度を誇ります。今回、僕はこの時計を2週間にわたって毎日着用し、その実力をじっくりと確かめる機会を得ました。
ただし本作を詳しく見ていく前に、なぜこのブランドがここまで精度にこだわり続けてきたのか──まずはその“精度への追求”の歩みを振り返っておきたいと思います。
精度追求というDNA
初代グランドセイコー
グランドセイコーが誕生したのは1960年。「世界に通用する高精度で高品質な腕時計を作り出す」という理念のもとに生まれました。初代グランドセイコーでは、スイス・クロノメーター優秀規格に準じた独自の社内検定を設け、その試験をパスした個体だけが歩度証明書とともに世に送り出されたのです。
そして1966年。グランドセイコーは、スイス・クロノメーターの検査基準を上回る自社の精度規格を制定し、さらに高みを目指していきます。スイス天文台コンクールへの積極的な挑戦や、毎秒10振動のハイビートムーブメントの開発──そのすべては、ぜんまいを動力とする時計の精度を極限まで高めるための挑戦でした。
グランドセイコー 61GS V.F.A.
1969年には、“Very Fine Adjusted”、通称「V.F.A.」と呼ばれる特別調整モデルが登場します。その精度は月差±1分以内。当時、世界最高レベルを誇る腕時計でした。そして今回の「U.F.A.(Ultra Fine Accuracy)」という名称は、このV.F.A. に代表される精度追求の歴史から着想を得たものです。
しかし、グランドセイコーの探求はそこで終わりません。1970年代後半、機械式のぜんまい駆動に、クォーツ開発で培ったテクノロジーを融合させるという革新的な構想が動き出しました。それこそが「スプリングドライブ」の始まりです。
自動巻きスプリングドライブ キャリバー 9R65
1999年に最初のスプリングドライブが発表され、2004年には自動巻きで72時間のパワーリザーブを誇るグランドセイコー専用設計のCal. 9R65が誕生しました。機械式の魅力と革新的なテクノロジーを融合させたスプリングドライブムーブメントは、それまでの機械式ムーブメントの精度を大きく超え、平均月差±15秒(日差±1秒相当)を実現。グランドセイコーは腕時計の精度を、まさに新たな次元へと引き上げていったのです。
こうして振り返ってみると、グランドセイコーがいかに精度への挑戦を続けてきたかがわかります。そして2025年、ついにその歴史の集大成ともいえる存在が登場しました。それが、スプリングドライブ U.F.A.です。
月差や日差といった従来の基準を超え、年差±20秒という、ぜんまいを動力とする腕時計としては世界最高精度を実現しました。この数字を初めて耳にしたとき、僕は正直「にわかには信じがたい」と思いました。実機を手に取ってみると、その背景にある技術と執念に圧倒されるばかりでした。
グランドセイコー公式サイト
グランドセイコー スプリングドライブ U.F.A
SLGB003(左)とSLGB005(右)。
グランドセイコー スプリングドライブ U.F.A.は、年差±20秒という驚異的な精度を誇る新世代スプリングドライブです。ケース径は37mm、全長も44.3mmとコンパクトで、細腕の僕にとって待望のサイズ感でした。ちょうどレビューのタイミングで、バイオレットカラーのダイヤルが印象的な限定モデルSLGB005の発売が発表されましたが、僕が選んだのはSLGB003。日常生活で毎日着用しながら、その性能と存在感をじっくりと確かめました。
ムーブメント
ローターには、年差精度を実現した証として「SPRING DRIVE ULTRA FINE ACCURACY」の文字が刻まれている。
シースルーバック越しに姿を現すのは、グランドセイコーの新世代スプリングドライブムーブメント「Cal. 9RB2」です。ムーブメント全体にはグランドセイコー独自の霧氷仕上げが施されており、北アルプスに広がる霧氷を思わせる繊細で独特な質感が印象的です。
本ムーブメントは、冒頭でも触れたとおり、ぜんまい駆動式の腕時計としては世界最高となる年差±20秒という驚異的な精度を誇ります。これはCOSCやマスタークロノメーターの認定をはるかに超えるものです。スプリングドライブは動力にぜんまいを用いながら、クォーツ式時計で使われるICと水晶振動子の信号を組み合わせた独自の調速機構を備えていますが、Cal.9RB2ではその仕組みが大きく進化しています。
新設計のIC真空パッケージ。
水晶振動子は温度や湿度、重力の影響を受けて周波数がわずかに変動し、さらに製造時に残った内部応力が経年で解放されることで誤差を生みます。9RB2では、こうした誤差を抑えるために3ヵ月間の入念なエージングを行い、水晶振動子の安定性を高めています。
さらに革新的なのが、新設計ICとの真空パッケージ化です。水晶振動子とICを真空環境で封入することで湿度や静電気、光など外的要因の影響を排除し、回路も短縮化。省電力化が実現されたことで、1日あたり540回という高頻度の温度補正が可能となりました。これにより、従来はスプリングドライブでは困難とされた温度補正機能を実用レベルで搭載できたのだといいます。
緩急スイッチ
加えて、今回初めてスプリングドライブに緩急スイッチが導入されました。これは従来、機械式のように精度調整機構を持たないクォーツ式において、例外的にグランドセイコーの9Fクォーツに採用されてきたものです。経年によってわずかに進みやすい、遅れやすいといった“癖”を補正できる仕組みで、実際に調整が必要となることは稀ですが、「いつでも補正できる」という安心感を与えてきました。Cal. 9RB2もその思想を受け継ぎ、長年の使用で生じるわずかなズレをアフターサービスで補正可能に。精度を支える新たな信頼の仕組みとして位置づけられています。
スプリングドライブ U.F.A. Cal. 9RB2
これらの技術を詰め込んだムーブメントは、直径30mm、厚さ5.02mmという非常にコンパクトなサイズながら、72時間のパワーリザーブを確保しています。さらに耐磁性能の確保にも新たな工夫が加えられました。従来はムーブメント外に「文字板受リング(耐磁板)」を設けていましたが、それを廃止し、耐磁部品をムーブメント内部に組み込む設計を新たに確立。その結果、十分な耐磁性能を維持しつつ、ケース径37mmという小型化を実現することができたのです。
SLGB003を見る
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ケースとブレスレット
本作はエボリューション9 コレクションに属し、そのデザイン哲学は1967年の44GSで確立されたグランドセイコースタイルを源流としています。2020年に現代的に再解釈され、いまや同社のモダンデザインの象徴となったこのスタイルは、ケースとブレスレットにその特徴が色濃く反映されています。
エッジの効いたシェイプに鏡面仕上げと筋目仕上げが組み合わされたデザイン。
エボリューション9スタイルは、グランドセイコースタイルの核となる思想と鋭いエッジの効いた造形を受け継ぎつつ、薄さや装着感が徹底的に追求されたデザインです。陰影を巧みに操ることで立体的なグラデーションを描き出し、多数の平面には鏡面仕上げと筋目仕上げを組み合わせています。その境界には定評のあるザラツ研磨のシャープなエッジが走り、グランドセイコーらしさを強調しています。さらにケースの重心を下げ、ラグ幅を広げることで装着時の安定性を高め、グラつきを抑えた設計もエボリューション9スタイルならではです。
今回のモデルでは、その哲学が直径37mm×厚さ11.4mmという小径ケースに凝縮されています。一般的にケースが小さくなると厚みが強調されがちですが、スプリングドライブ U.F.A.では側面のデザインバランスを見直し、さらにボックス型サファイアガラスを採用することで金属部分を薄く見せる工夫が施されています。僕が試したSLGB003はブライトチタン製で、通常のチタンと比べて、より明るい輝きと高い硬度を持ち、ステンレススティールよりも約30%軽量です。一方、限定モデルのSLGB005はエバーブリリアントスチール製。耐食性に優れ、美しい白い輝きを有する高性能ステンレス素材が採用されています。隣同士で並べてみると、金属素材のわずかな色味の違いが感じ取ることができます。
本作が発表されたWatches & Wondersで大きな注目を集めたのは、精度だけではありません。もうひとつの革新は、新開発の微調整機能付きバックルです。専用工具を使わずに簡単に長さを変えられるこの仕組みは、長年グランドセイコーを追いかけてきたコレクターなら、どれほど待ち望んでいたか。海外のジャーナリストやコレクターのあいだでも大きな話題となり、なかには「年差±20秒という圧倒的な精度以上に、日常で実感できるこの機能こそが最大のニュースだ」と語る声もあったほどです。
調整幅は2mm刻みで最大6mm。日常のわずかな手首の変化に柔軟に対応するだけでなく、コマをひとつ外すときつく、足すと大きすぎる──そんな微妙なサイズ感の調整にも応えてくれます。快適性と実用性を大きく引き上げる仕組みと言えます。
操作方法は非常にシンプルです。12時側のブレスレットを引き起こし、そのまま少し奥に押し込みながらスライドさせるだけ。これだけでスムーズに微調整が完了します。現在、微調整機能付きバックルが採用されているのはブライトチタン製のSLGB003のみで、エバーブリリアントスチール製の限定モデルSLGB005のバックルには18Kピンクゴールド製のGSロゴワッペンがあしらわれ、特別感を演出しています。