オメガ スピードマスター ムーンウォッチはブレスレット派か、

これは誰もが直面したことがあるだろう。さて、3861 スピーディの楽しみ方について紹介しよう。

我々愛好家が時計の趣味に目覚めて以来、時計を購入する意思決定の木は無数に枝分かれしている。なかには隣人のフェンスを破って家の敷地内に侵入した者もおり、HOA(不動産管理組合)との戦いが勃発し、その年の残りの人生を台無しにしてしまうこともある。しかし今のところ、それは重要ではない。大切なのは時計を買おうとするときに何が起きるかである。店に入ったり、ECプラットフォーム(我々だ)を見たりすると、それがそう単純なことではないことに気づく。

そう、熱狂的なファンたちがストラップをだれでも簡単に手をつけることのできる仕事にしたのだ。ストラップのオプションがあれば、1本の時計が100とおりもの時計に変化する。チューダー ブラックベイ GMTを買いたい? ならテキスタイルストラップ、レザーストラップ、スティールブレスレットから選ぶことができる。簡単な選択だと言われる前に、まずはそれぞれを見てみよう。どれも見栄えがいい。ひとつはカラフルなベゼルにコントラストを加えるもの、もうひとつはヴィンテージの魅力をもたらすもの、そしてもうひとつは純粋なツールウォッチであるものだ。

オメガ スピードマスター 3861、サファイア風防。

要するに、“ストラップ vs. ブレスレット”という古くからの議論が、ますます複雑になっているということだ。何十年ものあいだ、この議論の中心に立っている時計を挙げるとすれば、それは間違いなくオメガのスピードマスター ムーンウォッチ、別名ストラップモンスターだ。

スピードマスターは、“アイコン”という称号を主張できる、数少ない腕時計のひとつだ。それは単に認知度が高いだけでなく、“アイコニック”であるという事実以上の意味を持つ。つまりスピーディは、歴史に名を刻んでいるのだ。NASAの宇宙計画全体のタイムラインや、レーシングクロノグラフから月面着陸のパートナーになるまでを、いちいち説明する必要はないほどに。先週、ワシントンD.C.にある国立航空宇宙博物館を訪れた際、そこにはジェミニ計画で使われたゴードン・クーパー(Gordon Cooper)のスピードマスターが堂々と展示されていた。その時計はエネルギーにあふれていて、適切な文脈で見ることでそれがより強くなった。

ゴードン・クーパーのオメガ スピードマスター。Image: courtesy of The Smithsonian

クーパーの時計は薄いミラネーゼ風ブレスレットにつけられていた。特に現代のシーマスターがミラネーゼの所有権を得た昨今だと、これは私があまり目にすることのないオプションだった。“すごい。スピーディが1965年に認定されたとき、この時計はジェミニ計画の一部だったんだ”という高揚感が落ち着いたあと、私はストラップのオプションについて考え始めた。

一部であるスピーディは、会社のアイデンティティの中核を担っている。というのもヴィンテージ、モダン、その中間を問わず、スピードマスターをつけている同僚を数え切れないほど見てきたからだ。私がこれまでに会った人のなかで、この時計を所有している人の共通点があるとすれば、誰もが同じつけ方をしていないということだ。確かにブレスレットよりストラップがつけられたスピードマスターを多く見てきたが、私がこの趣味に興味を持つようになったのは、モダンなスピードマスター 1861のブレスレットが、その超90年代的な美学により、必ずしも垂涎の的ではない時代だったからでもある。

ただし2021年、オメガがスピードマスター 3861(コーアクシャル脱進機を備えたマスター クロノメーター認定仕様にアップグレードされたムーブメントを内蔵していることから、この名がついた)を発表して、スピードマスターコレクションに数年ぶりの大きなアップデートを加えたことで状況が一変した。

生産終了となったスピードマスター 1861の隣(右)に置かれた、スピードマスター 3861(左)。

2021年のリリースでは貴金属のオプションもいくつか登場したが、この議論の目的のために、今回はSS製のスピードマスター 3861に限定する。それから2022年にムーンシャイン™スピーディが発表されたが…これはダメだ。

スティール・オン・スティールのスピーディ

オメガ スピードマスター 3861、ヘサライト風防。

新たなスピードマスター 3861がもたらしたのは、本質的にブレスレットやストラップを購入する際の計算をより難しくすることだった。それはなぜか? というのも新しいスピードマスターのブレスレットは、後継モデルよりもはるかに優れており、おそらくこれまでに作られたスピーディのブレスレットのなかで最高のものだからだ(フラットリンク派には悪いけど、私は自分の意見を主張する)。

では、この新しいブレスレットを調べてみよう。これはジュビリースタイルを思わせる5リンク構造で、42mmのスピードマスターなのに40mm(ファースト オメガ イン スペースを思い浮かべる)の時計に近い形で手首にフィットする。古いブレスレットはそれ自体が魅力的ではあるが、少し出っ張るきらいがあり、サイズが大きくなったように感じられる。

アップデートされた5リンクブレスにつけられた新しいクラスプ。

新しいスピードマスターのブレスレットも5リンクデザインを採用しているが、こちらは新鮮さと同時に時代を超越したものを作り出した。まず20mm幅からクラスプ側の15mm幅までテーパーがかっている(旧モデルは実質的にはテーパーがない)。クラスプは実際、デザインがより成熟していると感じる部分だ。さらに“OMEGA SPEEDMASTER PROFESSIONAL”と書かれたサテン仕上げのSSクラスプではなく、上部にオメガロゴを一体化させた、シンプルなストライプ模様が入っている。

SSブレスレットは、やり過ぎになる可能性も十分にあった。オメガが過剰な設計をしていた別世界もあったかもしれない。しかしツイントリガーのエンクロージャーから、腕毛を巻き込まないという事実まで、すべてがうまく機能している。

オメガ スピードマスター 3861、ヘサライト風防。

この記事では、時計を何につけるかという難しい決断をどう下すかについて書いているため、まるでまだ選び足りないかのようにスピードマスターのブレスレットにもふたつのバリエーションがあることを指摘しておくべきだ。ヘサライトスピードマスター、すなわちプレキシガラス風防を持つスピードマスターを選択した場合、ブレスレットはすべてのリンクにサテン仕上げが施される。一方サファイア風防のバリエーション(サファイアでできたシースルーバックもある)を選ぶと、センターとスモールリンクはポリッシュ仕上げになる。ただ全体的な感触と装着感は、どちらのモデルも同じだ。

ストラップ、ストラップを忘れないで
オメガ スピードマスター 3861 ヘサライト風防の、ブレスレットバージョンとナイロンストラップバージョン。

現在のスピードマスターのラインナップには、SSモデル用のふたつのストラップオプションも含まれている(貴金属を選ぶとラバーも争いに加わるが、ここではできるだけ複雑にならないようにしたい)。最初の選択肢は、私がかなり過小評価されていると思うもの、そうナイロンストラップだ。上の部分は布製のテキスタイルで、下の部分はレザーでできている。また別のブラックパーツをもうひとつ加えることで、時計にほどよいコントラストが生まれ、SSとの組み合わせよりも文字盤がもう少し輝くようになる。

これはすべてのオプションのなかで最もステルス感があると思う。レザーとDバックルによりラグジュアリーな雰囲気をもたせながら、かつてのベルクロストラップ(詳しくは後述)をほうふつとさせる、ツール的な要素も備えている。私はこれをリュクスなNATOと考えている。

オメガ スピードマスター 3861、ヘサライト風防。

しかしここからがおもしろく、また混乱もするのが、このテキスタイルオプションは現行のヘサライトスピードマスターにのみ提供され、102万3000円と(税込)いうエントリーレベルの価格が設定されているのだ。SS製ブレスレットのヘサライトはもう5万5000円かかる。

また、サファイア風防付きのスピードマスターでのみ販売されているレザーという選択もある。これは最もクラシカルな感じがする。クロコダイルレザーストラップがブレスレットと同様に時代を感じさせる1861 スピーディとは異なり、この滑らかなステッチ入りストラップはモダンな要素をもたらしている。ブラックレザーストラップは、SSブレスレットに取って代わるストラップとして最適だ。オメガはこれをより高価なバージョンのムーンウォッチに限定している。間違いなく、このオプションのスピードマスターを誰よりも多く見てきた。

オメガ スピードマスター 3861、サファイア風防。

ブラックストラップのオプションは、税込で117万7000円だ(SSブレスのサファイアスピーディは税込で123万2000円) 。たとえ限定モデルでないとしても、この価格は理にかなっている。これがドレス用スピーディ、つまりブラックタイのムーンウォッチなのだ。正しいブラックタイウォッチは何かを語る前に、タキシード姿のバズ・オルドリン(Buzz Aldrin)がスピードマスターを着用している写真を探してみて欲しい。

伝統的な高級時計製造は、なぜヴィンテージ市場でそれほど評価されないのだろうか?

ィンテージウォッチの収集を取り巻く環境はこの15年のあいだにあらゆる面でさま変わりしてしまい、とりわけロレックスのデイトナには信じられないほどの高値がつくようになった。かつてはヴィンテージウォッチ収集の世界に足を踏み入れさえすれば、1000ドル以下で本当におもしろいものを見つけることが可能だった。しかし今ではそれが現実的に不可能になっただけでなく、あまりに巨額の金銭が介在しているため、ハイエンドクラスでは時計を見ているというよりマネーゲームを見ているような感覚に陥る。

ヴィンテージウォッチ収集を牽引している奇妙な事柄のひとつとして、対象となる時計の本質的な価値よりも、力のある特定のブランドネームや外見にばかり焦点が当てられているように見えることが挙げられる。現在ロレックス デイトナに付けられている価格について、絶対的な意味で特に正しいとか間違っているとかいうことはないし、とりたててPND(パンダ)を非難したいわけでもない。“古きよき時代”が過ぎ去ったことを嘆くのならば、それは簡単なことだ。しかし歴史的に見れば、時計製造のよし悪しはブランドの名前自体ではなく時計のムーブメントに込められた職人技術の質、そして素材のクオリティによって決まると考えられてきたのである。

1923年製パテック フィリップ ラトラパンテ クロノグラフのムーブメント(ヴィクトリアン ピゲ社によるエボーシュ)。
ThePuristS.com(現在はPuristsPro)で何年も前に行われたディスカッションを覚えている。そこでは時計にかなり造詣の深い新参の男性が、「高級時計と大量生産される一般消費者向け製品との違いが、精度の高さではないとしたら何なのでしょうか」という、至極もっともな質問をしていた。時計職人として常勤しているという司会者からのそれに対する答えは、「お答えしましょう。納得できないかも知れませんが、仕上げです」というものだった。

ムーブメントの仕上げについて評価するのは、いくつかの理由からとても複雑だ。まず第1に、何世紀ものあいだに、ムーブメントの仕上げとは何であり、それがどのように施されるかは劇的に変化してきた。現在、我々が上質な仕上げと考えるもの、そしてそれに関連するムーブメントデザインのスタイルは、19世紀後半の スイス・フランス学派の産物である(例えば、19世紀末から20世紀初頭に見られる高級イギリス製懐中時計は、一般的にジュネーブやジュラ地方のものとは明らかに異なる外観を呈している)。第2に、我々がムーブメントの仕上げに何を求めるかは、シースルーバックから見えるものによって判断されてきた。シースルーバックはごく一般的な仕様(特にロレックスの時計など、いくつかの特別な例外もある)であるため、そこでは実に多種多様なレベルの仕上げを目にすることができる。そこでは、“シースルーバック仕上げ”とでも呼ぶべき、消費者が目にする部分だけに表面的に魅力的な仕上げを施すという方法の台頭という問題も生じる。そして第3に、時計のムーブメントの仕上げに関する教材はとりわけ英語ではほとんど存在しない。ムーブメントにおける優れた仕上げを示す基本的な視覚言語や、どこを見るべきかについて書かれた資料は驚くほど少ないのだ。

パテック フィリップ Cal.CH27-70Q(レマニア2310ベース)。

しかし、歴史的な観点から見ると、高級時計製造(オートオルロジュリー)の基本的な特徴のひとつであったムーブメント仕上げの技術が重要であったことに変わりはない。さまざまな装飾や準機能的な仕上げの技術は、優れた時計に常に期待される基本的な要素であり、時計製造における偉大な皮肉のひとつであった。ムーブメントの仕上げがクオリティ的にピークに達していたころ、最高の仕上げの大部分は堅固なケースバックの後ろに隠されていた。

オメガ スピードマスターに搭載されたオメガのキャリバー321/レマニア2310。

最近のヴィンテージウォッチ収集の現場で本当に不思議なのは、このテーマがほとんど議論されず、オートオルロジュリーのこうした側面への関心がコレクターの興味を引きつけたり、オークションでの売上を促進したりすることがほとんどないことだ。時計の価値との相関関係は、残念ながらゼロに等しい。これはある意味ハイエンドのコレクターに多く見られる現象だ。美的感覚で収集される資産としてアートが数えられるようになって久しく、同様にワインも日常的に莫大な金額が動くにも関わらずそれによって酔うことは決してないし(悲しいことに誰かを酔わせることもない。ディオニュソスの子よ、ガラスの牢獄のなかで静かに泣け)、たいていの場合もう飲めなくなってしまっている。

つまり、ヴィンテージウォッチ市場に今起こっていることは、単純に時計収集が成熟し、これまでファインアートにしか向けられてこなかった資金と関心を集め始めたことの表れだと考えることもできる(ニューヨーク・タイムズ紙が2013年に“Art Is Hard To See Through The Clutter Of Dollar Signs”で指摘したように、アートは今や、かつて第一世界の国家が大規模な兵器体系を取得するために留保されていたような資金を引きつけている)。このことと世界中で相互に結びついたコレクター層による富の創造と集中が相まって、ヴィンテージウォッチ収集をいわゆる高級時計収集と同じ方向へと向かわせたのだ。

また、昨今では高級品の購買は品質よりもブランド力によって左右されることが多くなっており、その風潮はますます強くなっている。結果としてその品質は、ブランドアイデンティティを維持するために必要とされる最低限にまで落とされる傾向にある。これは言うまでもなく、製品の質の高さによってブランドが評価されるのとは対照的な現象である。

ヴァシュロン・コンスタンタン 天文台トゥールビヨン、1931年製。

それにしても、この種のコレクターズアイテムにおいて品質において最も基本的な指標のひとつであるムーブメント画像がほとんど話題にもならず、販売促進にもそれほど貢献しない(オークションハウスはムーブメント画像をまったく見せないことが多いが、これは単にコレクターが一般的に何に興味を持つか、あるいは興味を持たないかを反映しているに過ぎない)のは、実に不思議なことだ。

もちろんそれには理由があるのだが、奇妙なことに変わりはない。しかし結局のところ、それは驚くべきことではないのだろう。ここ数年、世界の時計コレクターのコミュニティが、市場に出回るあらゆるものの真贋を無批判に受け入れることに意外にも抵抗感がないことを、我々は目の当たりにしてきたのだ(ファインアート市場において、少なくとも合理的な科学的検証や、もっともらしい管理体制が試みられているように見えるのとは対照的である)。もちろん、人々が収集しようとする理由はさまざまだ。もしあなたが時計製造における伝統的な職人技の表現を好むひとりであるならば、その好みを満足させるだけの多くの時計を見つけることができるだろう。

時計を手にするとき私が一番に考えるのは、

アラン・“ハマー”・ブロア(Alan “Hammer” Bloore)氏が時計を集め始めたのはまだ子供の時分からであり、最初の時計は貯金して買ったセイコーのダイバーズだったという。彼は生来のスポーツマンであったが、2000年代初頭にボート事故で腰から下が麻痺した。当時、彼はすでにヴィンテージのミリタリーウォッチやダイバーズウォッチのコレクターであり、“パネリスティ”のような初期のコレクターコミュニティの一員でもあった。そしてこの事故は、彼の時計への興味をさらに強固なものにした。

「これらの時計を手にするとき私が一番に考えるのは、今が何時かということではなく、その時計が語る物語についてです」と、ハマー氏は言う。「時計への愛がなかったら、私はどこに情熱を見出すことができたでしょうか。時計は私という人間を作り、世界中を巡り、私の人生を変えるような友情をもたらしてくれたのです」

アラン・“ハマー”・ブロア氏

そして今、ハマー氏が時計を売却する時が来た。現地時間の12月7日(木)にニューヨークのサザビーズで行われるセールを皮切りに、“ハマー コレクション”の時計約60点がオークションのハンマーにかけられる。

ハマーのコレクションの大部分はパネライとヴィンテージロレックスだが、サザビーズのライブ中継やオンラインカタログでは、パテックやインディーズブランド、その他のブランドも目にすることができる。

ハマー コレクションより、オーストラリア海軍に納入されたRef.5510。

特に注目すべきは、オーストラリア海軍のために作られたハマー氏所有のビッグクラウン Ref.5510だ。彼はオーストラリア人であり、このビッグクラウンは、軍用時計としての実績を持つ素晴らしく真っ当なモデルである。さらに時計だけではなく、オーストラリア海軍の制服やフィールドノート、シガレットケースやノーズクリップまでついてくる。箱や書類のことは忘れよう。このセットは、“フルセット”という言葉にこれまでとは違った意味を与えてくれるものだ。

パネライ Ref.PAM21

ハマーの膨大なパネライ コレクションのなかで、とりわけ注目すべきはRef.PAM21だろう。これは1997年に発表されたプラチナ製の限定モデルで、パネライによれば、第2次世界大戦でイタリアのフロッグマン(潜水士)が着用した伝説的なロレックス Ref.3646にインスパイアされたヴィンテージムーブメントを使用しているという。パネライがヴァンドーム(現リシュモン)に買収された直後に発表した最初のモデルで、60本すべてが数週間で完売した。

また、パネリスティの10周年を記念して限定発売されたパネライ Ref.PAM360もあり、これはハマーがデザインに携わった時計でもある。彼が持っている個体のシリアルは1/300で、裏蓋には“Hammer”と刻印されている。

時計自体のストーリーにとどまらず、ハマーに関するストーリーもまた、彼のコレクションの醍醐味なのである。ブロアは過去20年間、収集家のコミュニティに欠かせない存在だった。最近、彼は同じオーストラリア仲間であるフェリックス・ショルツ(Felix Scholz)氏とアンディ・グリーン(Andy Green)氏らとともにOT: The Podcastに出演し、彼のコレクターとしての軌跡を語った。 彼が2000年代初頭に事故に遭ったとき、世界中から100人以上のコレクターが彼を訪ねてきた。彼が言うには、これが最初の本格的な時計愛好家の集まりだったそうだ。彼の手首に“Paneristi.com”のタトゥーが彫られているほど、このコミュニティは彼にとって大きな意味を持つ。ハマーの話やヴィンテージウォッチに興味があるならば、全エピソードを聞く価値があるだろう。

ハマーは事故に遭ったのちも、常に前向きに生き続けてきた。それは、彼が20年以上にわたって関わってきたコレクターたちのコミュニティによるところが大きい。ハマーのストーリーは、時計収集の素晴らしさを思い出させてくれるものである。

ニューヨークで行われるオークションの模様は、今週末にお伝えする。

カルティエのサヴォアフェールは、すべてそのデザインのために存在する。

ウォッチメーカーとして培ってきた製造技術でさえも、このメゾンは自らの審美眼にかなう時計やムーブメントを生み出すことを主な目的としてしまう。顕著な例が、近年増えているスケルトンウォッチたちだ。

カルティエ「TIME UNLIMITED」。10月1日、最終日まで大盛況のうちに幕を閉じた近年最大のカルティエ ウォッチイベントは、ファンならずともメゾンの時計の魅力を発見する機会となっただろう。ありがたいことに僕もその一役を担わせていただき、クロノス日本版編集長の広田雅将さんと実施している「コノサーズトーク」の公開動画収録を、会期最終日に江口洋品店・時計店オーナーの江口大介さんをお招きして行った。

「TIME UNLIMITED」をとおして、カルティエのウォッチメイキングの軌道を俯瞰する
 このイベントは示唆に富んだもので、大まかには4つのゾーンに分かれてカルティエ ウォッチについての理解を深めることができた。まずは歴史を体感できるムービー、代表的デザインの時計展示、4つのピラーとなるコレクション、そしてラ・ショー・ド・フォンでのウォッチメイキングを学べるコンテンツが用意されていた。僕は、やはり時計の実物展示に最も多くの時間を費やして見学したのだが、カルティエがウォッチメイキングにおいてどういう変遷を辿ってきたのか、企業としてどういう時期にどんな時計が製造されてきたのかを俯瞰することを試みた。カルティエ ウォッチは、1904年のサントスに始まり、1917年のタンクで明らかにユニークな時計づくりのスタンスを確立する。当時メゾンを率いていた3代目当主ルイ・カルティエが、自身の腕時計への熱の高まりを思いのままに表現していったのが最初期で、これは1940年ごろまで続くいわばヒストリーの序章にあたる。この時代のテーマは端的にいうと、「アール・ヌーヴォー的豪奢なものからの脱却」であり、ミニマルさを堅持しつつ、貴金属を折り曲げ、叩いて成形していくジュエラーとしてのケース加工技術がカルティエデザインを実現する要だった。当時の生産数は多くて年間100本台、現存するものとなるとさらに数が少なくなる。実は「TIME UNLIMITED」で目にできたもののなかには、オークションピース級の時計も含まれていたのだ。

ルイ・カルティエ後の激動の時代
さて、ルイ・カルティエ後の第二章は本当にざっくり分けると1960年代〜2000年代を指すことになるだろう(1950年代はほとんど目立った動きがなかった)。別会社として存在していたロンドン、ニューヨーク支店で独自のデザインが生まれたり、カルティエの経営権が創業家から移ろって一時大量の“安物・偽物タンク”が出回ったりと、激動の時代を迎える。

そこから1972年、ジョゼフ・カヌイ率いる投資会社の元で再建が図られ、1973〜1985年のルイ カルティエ コレクション、1998〜2008年のCPCP(コレクション プリヴェ カルティエ パリ)で、ルイ・カルティエ時代を思わせるシェイプを持った時計たちが甦った。カルティエが有する豊かなヘリテージの価値を十分に理解していた経営陣は、70年代から展開されたマスト タンクなどマス向けの商品も生み出す一方で、メゾンらしい希少なクリエイションを継承することを忘れなかったのだ。

アンディ・ウォーホルやイヴ・サンローラン、モハメド・アリらがこぞってカルティエのタンクを着用して、一気にプレミアムな時計としてのの地位を確立したのも包括的な戦略の賜物だ。便宜上、第二章としたこの半世紀近い時期は、ここだけでいくつものチャプターに分けられるのだが、本稿でお伝えしたい第三章に行き着きそうにないので今回は割愛させていただく。ともあれ、現代にカルティエ ウォッチを繋いだ激動の時代であり、アイコンであるタンクもサントスも第二章での成功なくしては失われていた時計だっただろう。

2001年、カルティエマニュファクチュール設立から始まる新章

サントス ドゥ カルティエ

Ref.CRWHSA0015 462万円(税込) SSケース(LMサイズ)、47.5 x 39.8mm、手巻き。

やっとたどり着いた第三章は、2001年以降のモダン・カルティエの時代。そう、メゾンがマニュファクチュールを設立した年から始まる物語は、外装の巧みな製造技術でウォッチメイキングを確立したカルティエが、ムーブメントまで内製化を図って何をなそうとしているかが軸になる。2000年代の時計業界は、ETAのエボーシュ提供問題によりムーブメントの自社製化が盛んになった時期であり、自社製=価値が高いという図式も確立された時代だ。実際は、一概にそんなことは言えないのだが、とにかくブランディングのための「インハウス」が各所で踊り、何をもって自社製とするのかは現在でも続く論争のタネにもなっている。

とはいえ、カルティエは違った。根強い開発の結果、2010年にCal.1904 MC、2015年にCal.1847 MCを生み出すのだが、それにとどまらず、2009年より「オート オルロジュリー」コレクションの展開をスタート。文字通り、ハイエンドウォッチメイキングの分野に乗り出したのだ。カルティエといえばメンズ用腕時計の始祖という印象も強いが、文字盤やムーブメントが浮遊しているように見えるつくりが特徴のミステリークロックの製作でも有名。複雑な輪冽構造を開発する技術力を、あくまでデザイン的な驚き、優美さのために費やすのがカルティエ流なのだ。

このスタンスは、オート オルロジュリーコレクションでも遺憾なく発揮され、ミステリークロックを腕時計で実現したロトンド ドゥ カルティエ アストロミステリアス(2016年)や、昨年大きな話題呼んだマス ミステリユーズなどはその最たる例と言える。そして、その一方で近年のカルティエが注力するムーブメントのスケルトナイズこそが、マニュファクチュールを設立して以降のカルティエがたどり着いたお家芸なのではないかと考えている。僕がいま、何より熱狂しているのも、カルティエのスケルトンモデルであったりもする。

ブランパンからフィフティ ファゾムス誕生70周年を記念するモデルが発表された。

第3弾はヴィンテージのオリジナルモデルのなかでも特に希少なMIL-SPECモデルにオマージュを捧げたモデルだ。知る人ぞ知るリファレンスが選ばれたのには理由があった。

名は体を表すという。であるなら、ブランパンのフィフティ ファゾムスほど、自身を明確に語ったモデルはないだろう。1953年に誕生したフィフティ ファゾムスは、水深の測定単位であるファゾム(1ファゾム=1.8288mに相当)になぞらえ、50ファゾム、つまり約90mもの防水性能を有していることを意味しているのだ。

この時計の開発にはふたりの重要人物が登場する。ひとりは当時ブランパンのCEOで自身もダイビング愛好者だったジャン=ジャック・フィスターだ。あるとき南仏でのダイビング中に経過時間を間違えたことによるエア切れを体験し、ダイバーズウォッチの開発に取り組み始めた。

もうひとりはフランス軍のロベール・“ボブ”・マルビエ大尉である。コンバットダイバーと呼ばれる潜水特殊部隊の編成を進めていたフランス海軍は、海中で正確に隠密行動をするために優れた腕時計を必要としていた。しかし当時の市販品は、どれもその用途に適していなかった。

フィフティファゾムス 70 周年記念 Act 3は、水中カメラから着想を得たボックスに収められる。

そこで部隊を率いるマルビエ大尉らは、ブランパンにコンタクトをとった。ジャン=ジャック・フィスターが海を愛し、ダイビングを愛する男でもあったことを聞きつけていたからだ。海中で安心して使用できる時計の必要性を理解したフィスターは、彼らが提案した「黒いダイヤル」「読みやすい表示」「回転ベゼル」「夜光表示」に加えて、「ベゼルの逆回転防止機構」「ダブルOリングのリューズ」「自動巻きムーブメント」「耐磁性能」を加え、ついに1953年に製品化を果たした。

こうして生まれたフィフティファゾムスは、その優れたスペックで評判となり、多くの潜水士や軍人から愛された。そして海中で使用できるダイバーのための時計の必要性に気付いた多くの時計ブランドが、ブランパンの後を追った。フィフティ ファゾムスは、モダンダイバーズの原点と呼ばれているが、それは紛れもない事実なのである。

フィフティ ファゾムスのバイカラーの水密性表示を搭載したモデルは、アメリカ海軍の仕様案に合わせて開発されMIL-SPECの表記が入る。1957年〜59年にかけてテストされ、アメリカ海軍のUDT(水中爆破舞台)およびSEALダイバーの時計として採用された。堅牢なケースと読みやすい表示だけでなく、安心して使えるというのも重要なことだった。

アメリカ海軍の仕様案が改定されたことを受けて、非磁性素材を使ったモデルMIL-SPEC 2が1960年代初めに誕生。さらに光の反射を防ぐため、表面にツヤ消し加工を施し、ムーブメントのブリッジやメインプレートにはベリリウムを使用した。ちなみにフランス海軍の戦闘水兵やイスラエル海軍特別攻撃隊、ドイツ海軍の機雷処理部隊なども、フィフティファゾムスを制式時計に採用している。

モダンダイバーズウォッチの原点であるフィフティファゾムスを生み出したブランパンだったが、70年代のクォーツ革命の波を受けて一時期は休眠状態に陥ってしまう。その後、ジャン-クロード・ビバーによって再興され、機械式時計の伝統技術に光を当てたシックスマスターピースの成功で、華々しく時計業界へと復帰を果たした。しかし当時はドレスウォッチやコンプリケーションを強化していたこともあって、フィフティ ファゾムスはほとんど日の目を見ることはなかった。

そんなブランパンがフィフティ ファゾムスに本腰を入れ始めたのは、誕生50周年となる2003年からだ。なぜならその前年にCEOに就任したマーク・A・ハイエックもまた、ダイビングを愛し、水中写真家としても活動する海の男だから。つまりフィフティ ファゾムスは、ジャン=ジャック・フィスターとマーク A. ハイエックという海を愛する男たちによって、その伝統を守ってきたともいえるだろう。

レギュラーモデルとして待望の復活を果たしたフィフティ ファゾムスは、もちろんすぐに高級時計愛好家から万雷の拍手をもって受け入れられた。1953年モデルのスタイルを継承しつつ、防水性能は300mへとスペックアップ。さらにロングパワーリザーブモデルやコンプリケーションなどさまざまなバリエーションを追加。一躍ダイバーズウォッチの主役へと舞い戻った。

2023年はフィフティ ファゾムスの誕生 7 0 周年を迎える記念の年ということで、3モデルがリリースされた。フィフティファゾムス 70周年記念Act 1は2003年の復刻モデルへのトリビュートで、フィフティファゾムス70周年記念 Act 2は、潜水能力の進化に合わせた3時間計を搭載した現代のダイバーに向けたもの。そしてこのフィフティ ファゾムス 70周年記念 Act 3は、フィフティファゾムスの歴史の始まりである軍用ダイバーズウォッチへのオマージュを捧げるモデルとなった。

1953年に誕生したフィフティ ファゾムスは、その優れた機能が評価され、各国の軍隊が制式時計として採用。その後アメリカ海軍では1950年代後半に定めたミルスペック規格に準拠させるため、ダイヤルにモイスチャーインジケーターを加えることをブランパンに要請。これは時計内部に水が浸入すると6時位置のディスクが濡れて赤く変色することで、時計が故障する危険性を着用者に知らせるものだった。フィフティファゾムス70 周年記念 Act3はこのミルスペックモデルがベースとなっている。

原点モデルのディテールが丁寧に継承されており、例えばケース径は初代と同じ41.3mm。その一方でケース素材には、9Kのブロンズゴールドという特別な素材を採用。そもそもブロンズは加工しやすいため古来からさまざまな部品製造に用いられてきた。潜水士のヘルメットもそのひとつだ。

海との関係性の深い素材であるため、近年はダイバーズウォッチに用いられることも増えているが、フィフティファゾムスでは当時からミルスペックモデルのRef.3200からRef.3246という短いシリアルレンジのなかでこの素材を使用していた。しかしAct 3では、そのままブロンズ素材を使用するのではなく、37.5%のゴールドに50%のブロンズを割り金し、さらにシルバーやパラジウム、ガリウムなどを含む9Kブロンズゴールドを用いる。その結果、ブロンズ特有の酸化による緑青が発生せず、肌への負担も少ない。さらにゴールドともブロンズとも異なる色合いに仕上がっている。

初代モデルやミルスペックモデルを丁寧に解読し、ケースサイズやボックス型の風防なども継承。BLANCPAINのロゴは、当時使用していたブロック体に。

Cal.1154.P2を搭載。ブランパンでは初めて1000ガウスの耐磁性を実現。ケースバックはオリジナルと同じくツーピース構造だが、トランスパレント仕様だ。

1953年にフィフティファゾムスが誕生した時代、ダイバーズウォッチは完全なるプロフェッショナルツールであり、堅牢性と機能性が尊ばれた。しかし現在のダイバーズウォッチは、海を愛する人たちに選ばれるライフスタイルツールでもある。事実ブランパンは、過去70年にわたって、さまざまな団体とパートナーシップを組みながら、海洋保全活動や海洋探査を行っており、それをブランパン オーシャン コミットメントという形で発表することにより啓発活動を続けてきた。つまりフィフティファゾムス 70周年記念 Act3は、ブランパンの海を愛する気持ちを、華やかな形で具現化した時計なのである。

1953年モデルからほとんど変わらないスタイルは、そういった気持ちが変わらない証明でもある。モダンダイバーズウォッチの原点は、外見だけでなく、その熱いハートも含めて、語り継がれる時計となっているのだ。